『血税』とは

 少し前に大河ドラマで明治維新の数年後の場面を見ていたら、東京の町人たちが「今度は政府に血を採られる」と騒いで嫌がっている様子が映っていました。西郷隆盛が訊くと、町人たちは「『血税』のことを恐れているのだ」と答えました。
  この時点で私は、現在で言う『血税』(血の出るような思いで納める税)のことだと思って苦笑してしまいました。しかし。
  ここで、西郷隆盛が「そうではない。『血税』というのは徴兵制のことであって、みんなで国を守っていこうということだ。身体のどこかを切って血を採られるわけではない」という趣旨の説明をすると、町人たちは安心して、すっかり打ち解けていました。
  これを見て私は、そんなはずはないだろう、と思いました。
  徴兵制というのは、普通の国民が、兵士なることを強制されることであり、武器を持って殺し合いをする訓練をさせられ、実際に殺し合いの場に連れて行かれる可能性が大きくなるということです。
  江戸時代には、このような殺し合いの場に立つのは武士の役割であり、それ以外の民にとっては武器を持って戦うことを強制されることなど無縁のことでした。
  それがいきなり兵士になることを強制されるとしたら、当時の町人は恐れおののいたはずです。結果的に血を流し、運悪く死ぬことを、すんなり受け入れられるはずはないのです。とても「なあんだ」という感じで安心するはずはないのです。

  廃藩置県によって、日本は緩い連邦制から中央集権の国民国家へと変貌します。
そして、国民には兵役や様々な義務が課されるようになります。
  やがて軍部が肥大化し、政治権力をだんだんと手にしていき、無謀な戦争を繰り返すようになり、しまいに大日本帝国は第2次世界大戦での敗戦によって事実上滅亡していまいました。

  そもそも国民国家というものがあるから、一般市民の移動の自由が制限され、国家の間の利害関係が衝突して、時には戦争が起こり、国民が兵士として殺される状況が起きるし、相手国の一般国民を原爆などの大量殺戮兵器で犠牲にして、自国に有利な状況を作ろうなどという恐ろしい考えも出てくるのです。

  国民国家と、それを維持しようとする軍隊、そんなものはなくなったらいいのです。軍隊は決して国民を守るためにあるのではなく、国家を守るためにあるのです。
  国民国家や軍隊は要らなくても,犯罪から市民を守る警察組織は必要だとは思います。ただ、それも厳しい監督の下に運用される必要があります。でないと、警察が過剰な権力を握ると息の詰まるような監視社会をもたらします。貧富の差を緩和して安全で健康で最低限の文化的な生活をすべての市民に保証するための行政組織は必要です。行政の目が行き届かない事柄から市民を守る裁判所も必要ですし、市民の意見を吸い上げ法律を作り、行政を監視する議会も必要です。
  つまり、民主的に運営される三権分立の国家的な組織が、世界にたった1つだけ必要だと思います。しかし、複数あってはいけません。
  このようなことが理想的だと私は考えています。


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